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1783年にカルトリーカヘティア(現在のグルジアの南東にある地域)の王、イラクリ二世はロシアの保護領としてグルジアを設立する合意を示したジョージブスク条約を結んでいる間の王国への奉仕に対し、ガルセヴァンチャイチャバゼ王子(1757-1811年)にカヘティアのワイン農園を与えました。ゼガーニワイン農園は定められた領地の中にありました。

 

1811年、ガルセヴァンチャイチャバゼの息子、アレクサンダー(1786—1846年)は彼の父の死後、26歳で農園を受け継ぎました。1812年以来、アレクサンダーは内戦や外国の軍事行動に積極的に関わり、パリ包囲中、ナポレオン時代のロシアの軍人、バルクライ・ド・トーリの副官として有名になりました。キャサリン・ザ・グレートの代子だったアレクサンダー・チャフチャバーゼは彼の人生においてこの時期に、ドイツやフランスの生活様式、建築、文化やこれらの欧州諸国の伝統に深く触れる機会を得ました。また彼は後に、グルジアで多く取り入れられたヨーロッパ特有のブドウ栽培とワイン造りに精通することができました。

 

1817年のアレクサンダー・チャフチャバーゼの帰還以前は、グルジアのワイン造りは地元の伝統的なカヘティアの技術を用いて作られており、多くのブドウ農園は細かく区画に分けられていなかったと考えられています。このように、歴史学者や考古学者の大半は、グルジアでのワイン産業は紀元前7000-8000年頃から存在していたという事実にも関わらず、ワイン造りの文化はヨーロッパからグルジアに伝わり、その創始者はシャトー・ゼガーニの創設者でもあるアレクサンダー・チャフチャバーゼであったと考えています。.

 

ティフィルスのフランス領事官であったジャック•フランソワ•ガンバ(1763-1833年)の回顧録で証明されているように、カヘティアにおけるアレクサンダー・チャフチャバーゼのワイン農園の建設は1820年に完成しました。彼の回顧録によると、19世紀のヨーロパの建物とチャフチャバーゼ王子の農園と庭園に明らかな類似点があると強調しています。シャトー・ゼガーニにある公園は今日もなお、見事に保護され、維持されています。

 

1846年のアレクサンダー・チャフチャバーゼ王子の死後、農園は彼の息子、デビッド・アレクサンドロヴィチ・チャフチによって継承されました。

 

1854年、イマーム・シャミルはグルジアのカヘティへ再び攻撃を開始しました。彼は先遣隊を送り、それはティフリス(現在のトビリシ)から65kmの場所にあった、デビッド・チャフチャバーゼ王子一族の農園をも襲撃しました。彼らはそこで休暇を過ごしていた王子の妻、28歳のアンナ・イリニチャナ・バグラチオン-グルジンスカヤ王女と彼女の幼い6人の子供たち、彼女の妹で26歳のヴァーヴァラ・オルベニアニ妃と6ヶ月の息子、ヴァーヴァラ妃の姪で18歳のニーナ・バラトヴァ妃、そして子供たちのフランス語の家庭教師であったアンナ・ドランシー夫人を誘拐しました。

 

残念ながら、この残酷な誘拐の際、ツェナンダリにあったチャフチャバーゼ農園は完全に焼き払われてしまいました(それは後に再建され、現在はアレクサンダー・チャフチャバーゼ王の博物館が収容されています)。イマーム・シャミルはデビッド王子に1,000,000銀ルーブルの人質への身代金の支払いを要求しました。デビッド・チャフチャバーゼ王子は人質を取り戻すためにロシアの皇帝、ニコラス1世(1796-1855年)に請い、この金額を借りることを余儀なくされました。人質はシャミルから無事解放されましたが、結果として、チャフチャバーゼ家の農園は1886年、借金を返済するために最終的にロシア皇帝アレクサンダー3世(1845-1894年)のもとへ譲渡しなければなりませんでした。そしてそれは1917年の革命までロマノフに属していました。この時期の出来事に関しては数多くの証拠書類が残っており、ロシア皇帝アレクサンダー3世がカヘティアワインを愛していたことが確認されています。

 

グルジアの歴史のなかでも1922年に始まったいわゆる「ソビエト連邦」時代、ヨーロッパの手法を用いたグルジアのワイン造りの開発は中断されました。このことは、次第に地理的分布を著しく狭めてしまいました。残念なことにこの時代はソビエト連邦崩壊後の最初の年まで続いていました。

 

1988年から、シャトー・ゼガーニはブドウ畑と共に、グルジアのタトゥラシヴィリファミリー私有のものとなりました。

 

現在では、19世紀からグルジアのためにとても独特なワイン造りを行っていたお城の城壁内で、何百年も前に行われていたような地元の畑で収穫されるブドウからワイン造りを行っています。そしてそのワインたちは今日に至るまでアレクサンダー・チャフチャバーゼによって敷設されたセラーで貯蔵されているのです。

Garsevan Chavchavadze
Aleqsander Chavchavadze
Nikolai I
Aleqsander III
Anna Bagration-Gruzinsky